支援の腕

他施設の支援に行くときは、必ず職員の腕を見ます。

腕とは実力の比喩ではありません。「腕」そのものです。その施設の思いの一部をそこでもはかることができると考えているからです。

学校も、他事業所にも、時に重度のお子さまを持つお母様、Orangeの職員も、まわりに集まる人はみんな腕が傷だらけです。

重度の障がいや感覚過敏、行動障害などのある児童の中には時に激しい他害や自傷行為などがある人がいます。

それに対する考え方はそれぞれで、それら対処のため、部屋に閉じ込め、お薬を大量に処方する方法をとられたり、メソッドが通じない、人がいないからと利用を断るところもあります。それが悪いと言いたいわけではありません。ビジネスとして捉えるうえで、また、実力が足りないと判断して他の利用者のも考えると、ある種仕方ないと思います。

しかし、そういった方法をとらず、お子さまに怪我をさせないよう、パニックや行動障害に生身で向き合う人達がいます。そんな人達は気がついたら、みんな、傷だらけの腕になっています。

薬等、効率的な方法に頼らない職員は、行動障害やパニックのおさめかたを知っています。そして、薬を使わないことで、子どもの豊かな表情や成長を見ています。そして、強度行動障害や、他の場所で見れないといわれる行動障害の激しさを知っています。

その子達が家庭にいられなくなり、施設や精神病院に送られ、どうなったか、どんな顔になっていったのかも知っています。

だから楽な方法をとれません。子どものことを考えたら、実力がたとえ足りなくてもやらねばという使命感にかられます。

子どもと向き合い、体当たりで支援をするこんな方法につきあったり、学びに来てくれようとする施設や先生方、職員には感謝しかありませんし、子どもたちがそういった人に支援を受けられたらと思います。

今では、さすがに先回りの支援が出来るようになり、生傷は古傷に変わりました。手を見るたびに、あまりに汚い手だと思います。でも、一生消えない傷は、子どもたちと向き合ってきた証であり宝物です。

だから、そんな手の事業所の代表様や、保護者様には手を見せて、「同じです」と笑ってお話します。「とっても良い職員さん、保護者様ですね。手をみただけでわかりますよ」と。